📺NHKスペシャル「自衛隊と憲法」

8月11日に放送されたNHKスペシャル「自衛隊と憲法 日米の攻防」は1991年の湾岸戦争から、自衛隊を出すようにアメリカから迫られ続けてきた日本が、その圧力に屈していく日米の攻防の歴史でした。

少なくとも湾岸戦争のときの海部首相は、憲法9条を踏み越えることはなく、自衛隊派遣のアメリカからの要請を、憲法9条があるから日本は多国籍軍に自衛隊を出すわけにはいかないと、ジョージ・ブッシュに断っていたのです。

にもかかわらず今、アメリカの圧力に屈して、この世界の宝でもある日本国憲法9条を変えて自衛隊を軍にするのかどうかという議論が起きており、その前に安倍首相はまず集団的自衛権が行使できる道をつけようとしています。
安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は集団的自衛権行使をめぐる憲法解釈で、全面解禁を提言する意向を明らかにしたそうです。
そして、安倍首相は、内閣法制局長官に集団的自衛権行使容認派の外務官僚小松一郎を起用した。続きを「風のたより~NAOのブログ」 NHKスペシャル「自衛隊と憲法」で読む

 

機密資料が語る自衛隊と憲法

そもそも集団的自衛権とは、同盟国などへの攻撃を自分の国が攻撃されていないにも関わらず、実力をもって阻止することができるようにする権利で、日本国民のためのものではないのです。むしろそれは日本国民を危険にさらすことになるものなのです。

代々の内閣法制局長官、そして歴代の総理大臣の多くは集団的自衛権の行使は日本国憲法9条に抵触すると言ってきたのです。

自衛隊の任務が拡大した背景に何があったのか。NHKは今回、それを知る機密資料を入手した。そこから浮かび上がってきたのは、この20年間繰り返されてきた同盟国アメリカからの要求。この20年間、憲法解釈を重ね、自衛隊の海外への派遣を進めてきた。この間、何があったのか。

1990 イラク軍クェート侵攻
1991 湾岸戦争 ペルシャ湾掃海艇派遣
1992 カンボジアPKO
1993 北朝鮮ノドン発射
1997 日米防衛協力の指針
1999 周辺事態安全確保法
2001 米 同時多発テロ  海自 インド洋派遣
2003 イラク戦争
2004 陸自 イラク派遣
2006 北朝鮮 地下核実験
2010 尖閣・漁船衝突事件
2012 尖閣諸島国有化
2000年代 戦闘が行われている国の中で活動するようになる

アメリカの思惑

アメリカは1990年のイラクによるクェート侵攻から始まった湾岸戦争で、イラクの行動を覆させるためには日本の協力が必要だといって、ともに取組むことを日本へ働きかけた。アメリカは冷戦後の新しい秩序作りの主導権を握ろうとし、各国に呼びかけて多国籍軍の編成にとりかかる。

対峙する日米

1990年8月13日のブッシュと海部の電話会談。
ブッシュは改めて軍事的支援を要請
「イギリス、フランス オランダ、オーストラリアが海軍の派遣に合意してくれた。
是非日本にも経済面だけでなく、軍事面でもできる限りの支援をお願いしたい。日本が軍事的な一歩を踏み出せば、私たちの仲間に完全に参加したというシグナルを送ることになる。日本の軍事支援は私たちの仲間に参加したというシグナルとなる。」

それに対して、海部首相は
「憲法の理念から多国籍軍への参加はできない。憲法の制約、国会の議決により軍事活動に我々が直接的に参加することは考えられない。多国籍軍に参加はすることはできないのです。」と答えている。

海部元首相はこの番組で次のように語っています。
「ここもやってるあそこもやってる、やってないのは君のところだけじゃないか言われているが、憲法9条に抵触する命令を自衛隊には出せない。9条2項の但し書きでは国の交戦権はこれを認めないと最後のダメ押しまでしているから自衛隊出て行けということはできない。

政治家がまずこれ(憲法)を守らなくてはならない。身を持って守っていかなければ、国家の最高規範だから。それが崩れたら議会制民主主義はどうなっちゃんだ」と。

アメリカは湾岸危機を自衛隊の運用を変える絶好の機会ととらえていた。
「アメリカの国益のためには、国際社会から孤立するのではないかという日本側の不安を利用すべきだ。そうすれば日本政府から軍事的な支援を引き出せる可能性がある。」というのがアメリカの考えだった。

アメリカから繰り返し要請をうけるなか、海部首相の頭にあったのは先の大戦。戦争体験のある彼は、自衛隊の運用は慎重であるべきと考えていた。
「戦争の惨禍は身を持って体験しているから戦争は二度とさせてはならない。それを抑えていくのが政治の責任でもありますよ。」とも海部元首相は番組で語っていた。

1990年9月29日 最初の電話会談から二か月後
海部総理とブッシュとの首脳会談
海部首相は、戦後日本が歩んできた道のりと憲法の理念を語った。「日本人は戦後45年間アメリカによってもたらさている平和を享受してきました。一方で日本人は第二次世界大戦中に世界にきわめて深刻な問題を引き起こしたため、いかなる軍事行動にも関与しないことを決めました。そもそもそれがアメリカが作った憲法の枠組みなのです。ジョージ。
そして日本の安定がアジアの安定に貢献しているのも真実です。現在われわれが検討している法案は、軍事支援ではなく非軍事支援に限定したいと思います。」

ブッシュは日本の立場に理解を示した上で、それにかわる速やかな経済的支援を求めた。湾岸戦争への自衛隊の派遣を断った日本は1兆円を超える経済的支援をおこなった。やがれそれは、小切手外交と批難を浴びる結果となる。

揺れる日本

憲法の理念から湾岸戦争に自衛隊を派遣しなかった日本。
この後日本は、国際社会からの孤立を恐れ、PKOへの参加に向けて本格的に動き出す。
1992年6月にPKO協力法が成立。自衛隊の海外派遣が可能になるが、憲法に抵触しないよう派遣部隊の武器の使用は制限。
1992年9月に初めてカンボジアPKOに参加 。 身を守るための最小限度の武器。

政府内の論議は、「憲法というのは国政のやれる枠。それをはみだしてはいけない。憲法は政府の行為、国家の行為の制約である。」というところで留まっていた。

深まる対米支援

自衛隊の海外派遣に踏み出した日本。アメリカは新たな軍事的支援を求めるきっかけとなったのは1993年北朝鮮が日本海に向け弾道ミサイルノドンを発射。
アメリカは北朝鮮に向け、軍事行動も辞さない。アメリカは日本も軍事行動に巻き込もうとした。

今回NHKが入手した国防総省の機密文書の中に、この機をとらえて日本をみずからの戦略に組み込もうという狙いがしるされていた。

「北朝鮮の情報は日本を刺激することができる。ノドンミサイルの技術的な情報だけでなく、北朝鮮の核開発に関する極秘情報の提供を申し出ると防衛庁幹部は色めきたった。アメリカ軍に協力しようという気持ちをかきたてたようだ。
最終的に日本周辺だけでなく、さらに広い地域でアメリカ軍の活動を自衛隊に支援させるため 我々は努力を重ねる必要がある。」

<アメリカは日本の憲法の枠の中でどれだけの協力が得られると考えていたのか>
憲法9条があっても自衛隊にできることはある、と考えていた。
北朝鮮での戦争に備え、日米共同の作戦計画をたてるため何ができるかを知る必要があった。憲法9条は確かに我々が作戦計画をたてる上での障害でした。ただ問題は憲法自体にではなく、憲法解釈の仕方にあるととらえていました。憲法の枠内の中でどのような選択をするかという問題なのです。自衛隊は非常に能力が高く多くのことができます。それをやるかどうかは日本次第なのです。
(1993年~1996年元在日米軍司令官 リチャード・マイヤーズ)
集団的自衛権の行使
アメリカが日本周辺で軍事行動に出た場合、日本は何ができるかを政府は考えるようになる。憲法解釈上許されていない「集団的自衛権」の行使が焦点となった。
日本が直接攻撃をうけない中でアメリカが行う軍事行動。それを支援することはたとえ輸送・燃料食糧の補給でも武力行使と一体化したとみなされ、集団的自衛権の行使につながるとみなされる。→憲法の枠の中での支援の在り方を考えた。

1999年 周辺事態安全確保法
自衛隊の活動期間を通じて、戦闘行為が行われないと認められる地域(後方地域)での支援なら武力行使と一体化しない。

この法案について、アメリカは憲法解釈を見直して、集団的自衛権には踏み込んでいないけれど、日本のやるべきことがはっきりわかった、とある程度満足した。

イラク派遣

大量破壊兵器を保有しているといってイラクを攻撃したアメリカは各国に地上部隊の派遣を求める。
日本は、復興支援を行うとしてイラクに自衛隊を非戦闘地域に派遣(活動期間を通じて戦闘行為が行われることのない地域)。憲法に抵触しないとする。
しかし、そこは何度も迫撃砲弾が撃ち込まれ、危険の中での活動であり、日米同盟の評価を意識してのイラク派遣だった。

自衛隊トップの日記。アメリカの戦争と向き合う(統合幕僚長 先崎 一の日記。)
そこから他国の戦争とまじかに向きあう苦悩が浮かび上がってくる。
およそ4年に及ぶ自衛隊トップの日記。イラク派遣前から終了までの日々がつづられていた。

アメリカのサポートはアメリカと一体とみなされ、敵とみなされる恐れあり、対米支援のニーズは陸上自衛隊のやろうとしていることとギャップあり。
隊員の安全を守るためにはアメリカと一線を画す必要がある。

大規模戦闘が終結したとされていたイラクではテロが頻発。
2003年8月19日 国連事務所爆破テロ テロの無差別化→ 泥沼化

アメリカが標的になるたびに不安。
アメリカ軍のとの一体化→ 不可避→ ターゲット化
アメリカ軍のみの支援は占領軍とみなされる。
バクダッドでアメリカ軍の支援をするように言われたけれど、自衛隊の活動はアメリカから離れた地方都市で行うべきだと訴えた。
2004年1月 自衛隊はイラク南部サマーワで復興支援活動を始めた
しかし、アメリカ軍と一線を画したはずの自衛隊でさえ、武装勢力から狙われた。
サマーワでの活動は2年半。派遣部隊は次々危険な状況に直面する。武装集団に取り囲まれたこともある。引き金に指をかける状態になったこともあるが、隊員は引き金を引くことはなかった。一歩間違えたらイラクとの関係悪化を招きかねない状態だった。
ひとりの犠牲者を出すこともなく終えたイラク派遣。
イラクでアメリカと一線を画すことを模索した自衛隊 だったが、今、アメリカ軍との連携は深まり、海外派遣も続いている。

自衛隊は発足から60年。戦闘で亡くなった隊員はひとりもいない。それがこの国の戦後の歩みでもあった。 急速に高まる集団的自衛権の議論。そして憲法9条をめぐる議論はどこに向かうのか。今この国の形が問われる大きな岐路にたっている。

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