アルメニア人大虐殺から100年

アルメニアは、旧約聖書の「ノアの箱舟」の舞台とされるアララト山がある国として、また世界で初めてキリスト教を国教とした国としても知られる。悠久の歴史があるが、1991年にソビエト連邦(当時)から独立した“若い国”でもある。

オスマン帝国によって1915年から23年まで続いたアルメニア人大虐殺で、250万人のうちの6割が殺された。虐殺の背景には、オスマン帝国において国内統治を目指すナショナリズムが高まる中での、キリスト教徒への警戒心や、経済的に優位に立っていたアルメニア人への反発などがあったという。この大虐殺を、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツが、ユダヤ人大量虐殺のモデルにしたといわれている。

「アルメニア人は、ほぼ全員、ジェノサイド(集団虐殺)で家族を失った経験を持っています」と語るポゴシャン大使も、虐殺で曽祖父を亡くしている。しかし、世代を超えて悲劇の歴史を生きながらも、ポゴシャン大使は、「憎しみ」や「暴力」をあおられるような教育は受けてこなかったと、次のように話した。

「祖父はあまり虐殺の話はしませんでした。私も15歳の頃、時々聞いたくらいです。ただ祖父は『強くなれ。いい人になれ。それを忘れてはいけない』と教育しました。母国では、『トルコ人が悪い』という言い方はしません。『〇〇人(じん)』のせいにせず、人間が引き起こす普遍的な問題として考えることが大切です」

広島や長崎への原爆投下、アルメニア人やユダヤ人のジェノサイドなど、全てに「共通する問題」がある。ポゴシャン大使は、自分には関係ない話ではなく、どこでも誰にでも起こり得る人間の問題として考えていく必要があると強調して、平和や共生社会を築くために大切なことを次のように挙げた。

(1) 歴史的事実から逃げないこと。事実から逃げると、同じ過ちを繰り返すことになる。映画や書物などを通して歴史の事実を学び、悲劇が起きた理由を考え、また“痛み”を理解すること。

(2) 文化やスポーツなどの交流を通して人と人をつなげること、また人間の共通点を大事にして、互いの文化・言語を理解していくこと。

(グラント・ポゴシャン特命全権大使 大虐殺から100年、 「その後」のアルメニア

「オスマン帝国によってアルメニア人が組織的に殺害されたアルメニア人虐殺については、多くの歴史家が支持するジェノサイドだとの定義を世界20か国以上が認めている。だが、トルコは一貫して虐殺を否定し、犠牲者数もアルメニア人側の最大150万人との主張に対し、50万人程度だったと反論している。」

ってどこかの国のネトウヨたちと同じ。😣

1915年のトルコによるアルメニア人大虐殺の責任を追及する法案が下院に提出

 

Revealed: Harrowing photo collection smuggled out of Armenia a century ago by American and colleague who risked imprisonment to show world the true horror of the ‘genocide’Read more: http://www.dailymail.co.uk/news/article-3052102/Harrowing-photo-collection-shows-world-true-horror-Armenian-genocide.html#ixzz4Va9YY5KR

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