消せない放射能 ウラル核惨事☢

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ソ連の原爆第1号のプルトニウムを生んだ核施設マヤークが、なぜチェリャビンスク州のへき地に建てられたのか。それは、原子炉の冷却に必要な水が豊富にあることと、極秘の計画ゆえに秘密を守りやすい場所にあることだった。そして、旧ソ連の原子力の父、イーゴリ・クルチャトフ(1903~60)の故郷だったからだとも言われる。(ソース:朝日新聞核リポート)

ウラル核惨事

1736年 チェリャビンスクに要塞が築かれる。19世紀にシベリア鉄道が開通してから人口が急増した。
1934年1月17日 チェリャビンスク州として設置された。

1948年  オジョルスク市に兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラント、マヤーク建設。プラントの周囲には技術者が居住する都市が造られ、チェリヤビンスク65という暗号名を持つ秘密都市として形成された。

1950年代

1950年代

ウラルの核惨事

ウラルの核惨事

 

テチャ川高レベル放射能

放射線量 10万テラベクレル

1️⃣ 1948 ~ テチャ川に核廃棄物投棄 マヤークでは1948年から3年間、核廃棄物をテチャ川に投棄していた。その放射能は10万テラベクレル。放射能はテチャ川の流れにそって拡散し、やがて流域の田畑、町、村を汚染。

2️⃣1957 高レベル放射性廃棄物の貯蔵タンクが爆発 (レベル6)

ウラル核惨事3カラチャイ湖

カラチャイ湖

3️⃣ 1967 ~放射能の飛散 かつて高レベル放射能廃棄物を敷地内にあるカラチャイ湖に投棄した。干魃が発生した際に湖底が干上がって乾燥した。放射性物質を含む砂や泥が風にのって空気中に飛散したため、汚染地域が広がり周辺住民に放射性物質による被曝で、新たな健康被害を生んだ。

2006年 チェリャビンスク州にあるムスリュモワ村は、3000人ほどが酪農や畑作を営む小さな村だった。村の名は「ムスリム」が由来だ。イスラム教徒たちの村を意味する。

ムスリュモワ村

ムスリュモワ村

マヤークが元凶となった3度の放射能汚染は「ウラルの核惨事」と呼ばれている。しかし、この事実を被害者が知ったのは発生から40年後だった。ロシア原子力省は、年間の放射線量が1ミリシーベルトを超えたためムスリュモワ村を移転させる決定を下しました」村民は、新ムスリュモワ村への移住か300万円をもらって他の町に移住するかの選択を迫られた。

 

2013年

テチャ川をさかのぼること50kmあまり「ここから先、外国人の立ち入りを禁止する」という看板が立っています。そこから先400mに核関連施設マヤークがある。3度も大事故があったが今も原子炉が2基動き、核処理が行われている。これができるのはマヤーク以外に無い。

 

しかし、「テチャ川は、(長崎型原爆のプルトニウムを生んだ米国・西海岸の核施設)ハンフォードにとってのコロンビア川とは違う。コロンビア川は大きくて水も豊富なうえ、すべてを薄めてしまう海にも近い。テチャ川はロシアの真ん中に位置する小さな川で、イセチ川やオピ川につながり、最後に海に至る」(ソース:朝日新聞核リポート)

 

朝日(核リポート)特別編 すべては原爆から始まった

2 美しくも不浄の川 ともに暮らす テチャ川

3 消えた村、測定器が振り切れた ムスリュモワ村

4 隠された核惨事、命を賭した人々

「福島と似ている」強制移住の村

8 ヒバクシャ3万人、健康被害追う

10 核と共存できるか、ロシアの教訓 マヤーク

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