ユージン・スミスと水俣病📷

ウィリアム・ユージン・スミス(William Eugene Smith)
1918年12月30日 – 1978年10月15日

カンザス州ウィチタ生まれ。母方の祖母が、アメリカインディアンのポタワトミ族の血筋もひく。 スミスの父親は小麦商を営んでいたが、大恐慌で破産し、散弾銃で自殺している。スミスはこの影響で早い時期から人の命や医療、ケアに強い関心を持ち続けた。

第二次世界大戦中にサイパン、沖縄、硫黄島などへ戦争写真家として派遣される。1945年5月、沖縄戦で歩兵と同行中、日本軍の砲弾の爆風により全身を負傷し、約2年の療養生活を送り、生涯その後遺症に悩まされることになった。その期間を振り返って、スミスは「私の写真は出来事のルポルタージュではなく、人間の精神と肉体を無惨にも破壊する戦争への告発であって欲しかったのに、その事に失敗してしまった」と述懐している。

1970年、アイリーン・美緒子・スミスと結婚。ともに、チッソが引き起こした水俣病の汚染の実態を写真に撮り、実際に座り込みなどにも参加するなど、世界にその悲劇を伝えた。

1972年1月、千葉県五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った右翼に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表し、大きな反響を得た。 スミスの元で助手をしていた森枝卓士も水俣病の取材中に右翼から暴行を受けている。

1977年12月、脳溢血で倒れる。翌年奇跡的に回復し、セミナーを行うまでになったが、1978年10月15日にアリゾナ州トゥーソンの食料雑貨店へ猫のエサを買いに来ていた際、致命的な発作を起こし死去。59歳。
(以上の文章はウィキより引用)

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