戦後70年:沖縄の大浦崎収容所

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沖縄戦末期、多くの住民が強制的に移住させられ、飢えや病気で命を落としたとされる収容所。名護市辺野古にあるアメリカ軍キャンプシュワブに4万人の住民が生活していた民間人の収容所があった。

そこでの生活を体験した人たちは「米軍トラックに乗せられて着いた先は収容所とは名ばかりの何もない草地で、テントは2、3日後に届いた。マラリアで毎日のように死者が出た」(84歳男性)、「1日1個だけ配られるおにぎりのために炎天下、長蛇の列に並んだ。小さい子はいつも下痢をしていた」(81歳女性)、「死者数が多すぎて、収容所内の墓地では複数の遺体を1つの穴に埋葬していた」(74歳男性)などと証言している。(日刊ゲンダイ)

(画像は、収容所での過酷な日々を経験し、「やんばるの戦争」を生き抜いた女性の証言「収容所でみた沖縄戦(名護市)」 より)

鳩山由紀夫氏が沖縄戦の遺骨収集 「埋葬地に基地建設とんでもない」

【宜野座】鳩山由紀夫元首相が11月29日、沖縄県宜野座村祖慶の「スンブク原共同墓地」跡で沖縄戦の遺骨収集を手伝った。鳩山氏は同様の埋葬地がある名護市のキャンプ・シュワブで新基地建設が進むことに触れ、「基地を造ること自体が殺すことだが、遺骨の上に造るというのはとんでもない。命を粗末に扱う姿勢の象徴だ」と厳しく批判した。

墓地跡では遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」が村と連携して調査を進めている。鳩山氏はこれまでに見つかった墓石に手を合わせた後、スコップで土をかき出した。「いまだ遺族の元に帰れない遺骨があり、関心が薄れていることにたまらない思いがする」と話した。ガマフヤーの具志堅隆松代表は「戦闘地域だけでなく、収容所でも食料不足やマラリアで相当数の人が亡くなった。沖縄戦のもう一つの側面を広く知ってほしい」と、鳩山氏の発信力にも期待を寄せた。(2015年12月22日)

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